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自分軸を保つ効果(母の愚痴対応編)



自分軸がグラグラだった私の場合、凄い効果がありました。


「母の愚痴」に対して試したことと変化を書いてみます。


興味を持てないことを隠さず、雑に聞き流す。

愚痴モードの時は、内容の如何に関わらず、一切同意する意思を言わない。


隙があれば別の話題に持っていきます。

それでも続いたら「疲れたから」と言って立ち去る。

部屋から出ても、後ろでまだ愚痴り続けているときもありますが(笑)相手しない。


運転中の愚痴は返事を基本的にしない。

外の景色に意識を向けて、話を振る。


愚痴を始めるた母に対して、嫌だなぁ、めんどくさいなぁ、またぁ?という表情をきちんと見せる。

自分の本心を隠さないという状態です!

ホントは、それ分かるわーと同調したい内容でも、愚痴の場合は相手しない。


母の機嫌を損ねないよう話を合わせたり、不本意な相槌を打つことを一切やめてみたのです。

それを続けてみたら、はっきりと変わりました。

私の方が!です。

自分の価値観を素直に表現出来たことで、凄く気持ちが軽くなりました!

愚痴のエネルギーに押しつぶされるような苦しい気持になることがなくなり、ストレスが一気に減りました。

相手にしなくても良いと思ったら、母の愚痴を「恐れる」気持ちが無くなりました。



愚痴を言っていないときの母に対してすら、恐れを持っていたことに気が付けました。

どんなタイミングで爆発するか分からない「地雷」として見ていたんですね。

それでは、自分の心が休まらなかったわけです。


今は、怖くないから、近くに母が居てもリラックス出来ます。


以前の自分は、「愚痴は嫌だ」という気持ちを表現することに、恐れを感じていました。

何故なら、愚痴を拒否された、母がヒステリーを起こしたり、病んでしまったりしたからです。

自分の気持ちを表現すること罪悪感すら感じました。

母が病んでしまうのは自分が愚痴を受け入れてあげなかったせいだと自分を責めていました。




そういう状態から、メンタルの勉強をして、自分の価値観を取り戻しました。

もうどうなっても(母が更に病んでしまっても)構わないから進むという覚悟を決めました。

少しずつ、自分の価値観を表現するようにして、後戻りはしないと決めて進みました。



そして、余裕が出てからは、明るい口調で切り返してます。

「愚痴ばかり言ってるから、ネガティブな引き寄せして更に酷いことになるのは自業自得だと思うな」

「離婚したほうが幸せになれるだろうと、何回言ったかな?今結婚している状態を選んでるのは自分だよね?」

「私の愚痴も聞いてくれる?毎日毎日お母さんに愚痴言われて凄い辛いの!どう思う?」



以前の母なら、ヒステリー状態必須でしたが、最近は黙って考えるような状態になります。



母も本当に変わったと思います。

ヒステリーやマシンガン愚痴レベル、自己攻撃で寝込むなどがほとんどなくなりました。


愚痴そのものは、習性的な癖になっている様子です。

「可愛そうな私」に浸っていたり、それを理由に構って欲しいようなんです。


生返事ばかり状態の父に向って「私のことなんて家事奴隷くらいにしか思ってないのよね!」という母

予想通りの生返事で「うん」という父。

母「ほら、やっぱり私の事それくらいにしか思っていないのよ!」

私「それ、絶対罠だよね?お父さんが話聞いてないの分かっててやっているよね?」

母「分かってるわよ、好きでやってるの!」


・・・驚愕・・・


好きでやっていたんですね!ホントは楽しんでいたんだ!

これまで心配したり振り回されていたけど、意味なかったんですね。

暫しボー然としました。

価値観って本当に多様なんだと思いました。


そういう価値観の人だとわかったら、なんか力抜けました。


「ネガティブ好きでやってるのはわかりました!
でも、私はその価値観共有できないから押し付けるのはやめてね。」

笑いながら伝えました。


私が自分の価値観に沿って、愚痴を受け入れないと決めたこと。
ここまでの変化につながりました。

出来る人にとっては当たり前のことかもしれません。

自分のニーズを表に出せずに生きてきた私にとっては、本当に大きな前進になりました。

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予想外の方向へ

久しぶりの更新です。

ここ暫く、自分のエゴと向き合い手放すことを続けています。

そのおかげか、良い変化が続き、実家に居ること事態に、あまりストレスを感じなくなってきたのです。

前回のブログを書いたときより、更に楽になっています。

このブログを書き始めた時、まさかこんなことになると思っていませんでした!

実家から出て、物理的に離れたその先にしか、安心した日常生活はないと思い込んでました。

今は、急いで実家を出る必要性を感じていません!

本当に予想外でした。


家族にされた、酷いことの数々。

その中で刻まれた家族への恐怖、怒り、不安。

過ぎたことへの痛みや恨みを持っていた自分の意識が、その後の時間までネガティブなものにしていました。

その部分をきちんと、理解出来ました。


家族の中で、自分だけ価値観が違うことは、幼い頃から感じていました。

合わない価値観を押し付けられて受け入れることを強制されて、苦しみました。

誰に育ててもらっているんだ!という圧力で、自分のニーズを言うことは出来ませんでした。

私が「Aが好き」と言っても、親は自分の都合に合わせてBを与えて、「喜べ」と強制しました。

その繰り返しで身についてしまった、自分への無価値感が、心をいじけさせてしまいました。

そのうちに、自分のニーズすら、分からない状態になっていました。

私は、いつまでも幼い時に刷り込まれた感覚を引きずり、大人になってからも親の価値観に振り回されていました。


今は無力な子供ではありません。

この人たちと一緒にいるときは「自分では居られない」という状態を変えられる力があるのに、気が付けていなかったのです。

何があっても「自分で居る」と決めることで、現状は変わりました。


今は、自分に合わない価値観を押し付けられても、拒否します。
丁寧に、理由を付けて、価値観の違いを説明したりして、納得してもらうこともしています。

その代わり、自分の価値観も押し付けないことも大切にしています。

自分軸を整ええると、違う価値観への許容範囲も、どんどんと広がるので、自分が楽になります。

家族以外の人との関係も変化しています。


具体的にどんなことをした結果が今につながっているかをきちんと考えて、書いていこうと思います。

まだまだ、変化の途中です。

同じような苦しさを抱えている人は、多くいると思います。

参考になればと思います。

両親の変化

自分自身が変わると、周りが変わると言いますが、本当なんだと実感することが増えています。

最近、自分自身の「余計なものを手放す」メンタルワークをしています。

具体的には両親のネガティブな要素にフォーカスするのをやめるようにしています。

良い部分を見つけて意識してみるようにしています。

愚痴を言われても、受け止めない。

不快な行動されたら、きちんと不快であることを伝えて、その一瞬以降に引きずらない。

過去にされたこと等で両親を責める気持ちを手放す。

過ぎたことは過ぎたことで、現在の自分は別物と考えることで、気持ちが楽になります。

出来る限り我慢しないで、自分の気持ちを大切にしていくと、気持ちにゆとりが持てます。

今ある物事や環境の良い部分に目を向けると、感謝の気持ちが出てきます。

いつも出来ているわけではないですが、自分の気持ちにゆとりが出来て、ぐらついても割とすぐに良い状態に戻れるようになってきました。


以前の自分はというと。

〇愚痴を言い続ける母に対して嫌悪感を丸出しにして逃げ出すものの、逃げ出したあとも不快感を長く引きずってしまった。

〇テレビ画面に向かって威張ったり、知ったかぶりする父の揚げ足取りをして黙らせることをしていました。
が、上から目線の父に対してマウントで対抗する自分に、嫌悪感がありました。

両親に嫌悪感を持っているから、家事をやるにも、イライラしながら、なんで私ばかりという気持ちが出ていました。

こういう行動していては、本当の意味で関係を変えることは出来ないですよね。


最近は、気持ちにゆとりが出てきました。

自分の気持ちが向く方向で、率先して家庭内の色々なことに協力するようにしてみました。

料理も、掃除も、畑仕事も自分のペースで行うようにする。


すると、両親が変わってきました。

以前は、家事のやり方に文句を言ってきたり、邪魔したりする母も、私のやり方に文句を言わなくなりました。

私のやり方の方が効率的だと言うことに漸く気が付いたようでもあります。

ここ暫く再発していた母の愚痴は、一気に減り、感情任せの毒発散状態もなくなりました。


父の物忘れや、心ない言葉や行動はあまり変わっていないですが、不機嫌な態度が減りました。

トイレでの粗相もここ暫くありません。


畑については、私が父から借りた部分と、その周辺の作物周りまでお手入れしていることに刺激を受けたのでしょう。

積極的に畑のお手入れをするようになり、見違えて雑草が減ってきました。

それまでは、雑草が丈高く伸び放題で、畑の体をなしていないのではというレベルでした。

作物に関するネタで、家族の会話が増えたのも良いことでしょう。

父は、通りがかりの他人を畑に入れることもなくなったようです。



最近気になっているのは、両親の溜め込み体質。

父は、切れなくなったハサミなども捨てずに、畑の一角の収納箱に大量の不用品を溜め込んでいるのを見つけてしまいました。

母も、そうめんなどの乾物を大量に買い込んで、何故か押入れとかにしまい込んで忘れているのを見つけてしまいました。

こういう溜め込み体質って、不足感や不安感があると助長される印象があります。

そういうところが落ち着けば、少しは改善されていくのかな?


自分も、性格的に片付けは苦手なほうです。

「気になる」ということは克服すべきというお知らせかなと感じます。

自分の部屋や、仕事用品関連を整える意識を持っていこうと思います。

両親に関して、気持ちは楽になりましたが、関わる時間は増えています。

自分のことに集中する時間をもう少し増やしていこうと思っています。


またも、片付けネタ。

片付けからの気づき。

先日、げた箱の下を片付けました。

今回は、詰め込み過ぎで靴の出し入れが大変なレベルになってしまっていた、「げた箱」を片付けることに。

げた箱から靴を出し入れするのが面倒になった父が、玄関スペースに靴を置くための棚を買い、そこに普段使いの靴が置かれるようになり2年ほど。

そのため、増々げた箱には色々なものがぎっしり詰めこまれていく状況でした。

ずっと、ストレスになっていたけど、見て見ぬふりしてきました。

自分の靴を出そうとすると、詰め込まれた園芸土に押しつぶされそうになっている状態とか、異常でしかない!

とうとう目をそらしていることに耐えられなくなりました。


軍手とマスクでしっかり準備して取り掛かる。

まずは中身を全部出す。

庭いじりの道具や、色々なスプレー缶、ペンチとかの工具類、ゴルフボールとか、半端な長さの紐とかが大量に詰まっていました。

そして、奥のほうに押し込められるようにして、すっかり忘れていた私の靴が出てきました。

自分のものが「いつの間にか見当たらなくなっている」ことはそういえば日常的にありました。

母は、人のものを勝手に場所を変えて仕舞いこんでしまう癖があります。

父は、人のものを勝手に使って、放置する癖があります。

そういえば、兄も父と同じタイプ。

私は、見当たらなくなったものを探そうとすることを、すぐにあきらめて、忘れました。
(そういう習慣を、身に着けてしまっていたことに気が付くことが出来ました。)

いつの間にかなくなるから、「ものに責任を持って扱い、最後まで面倒見る」という習慣を持てませんでした。

その残骸が、下駄箱の中に残っていたんですね。

普通サイズのげた箱から出た不用品は、ゴミ袋3つ!!!

長年放置していたため、色々劣化が進んで使えないものが大量でした。
靴磨きの道具等、何セットも出てきました。

母は、履かない靴をこの機会に捨てる決断をしました。
また、本当は自分がやらなきゃいけなかったことだとも言って、手伝ってくれました。

父は、履いてない靴ですら、「履くから捨てない」と言いました。
ひとつ前の車の色の塗料すら、「今の車の色と一緒だから使えるんだ!」と言って、捨てることを拒否。

父がため込んだ半端な紐も、捨てようとしたら「畑で使う」と持っていきました。

今度は、畑の「もの置き場」があふれることになるのかしら。

父は「捨てる」ことに極端な抵抗を持っています。

まぁ、絶対使わないであろうスパイクなんかは母がこっそり捨てました。

所有していることも忘れているだろうから、大丈夫でしょう。



これをきっかけに、家のあちこちに、「忘れてしまった私のものたち」が眠っているんだろうと気が付いてしまいました。

自分が実家で平常心でいるために「忘れる力」を思い切り稼働して生きてきたこと。

ものだけではなく、いろんなことでそういう必要性をもってきたこと。

「ものの扱い方」と「生き方」が連動していること。

色々気が付くことが出来ました。


ホントは、落ち着いて絵を描くために、自分の部屋を片付けようとしたんです。

なんか脱線してこんな感じになってました。

この片付けをきっかけに、これからの自分がどう生活していきたいのかを「行動」で示していこうと思いました。

周囲に振り回されない、「自分軸」で生きていこうと思います。

片付けからの気づき

書いてみたら、似たような投稿してました・・まぁいっか。

身の回りの人たちは、自分の鏡であると言うこと。

なんか、急に理解が深まってきたと感じます。

母親が、やはり異常な分量の買い込みをする。

父親もまた、無くしては同じものを買うの繰り返しで、ものを増やしてしまう。

こういう状況で、大量のものにあふれた実家が大っ嫌いでした。

で、自分を見てみると。。。

部屋、散らかってるし、割安だからと素材をまとめ買いしてしまったり。

規模は大分違うけど、同じことしているんですよね。



数年前、こんまりさんの本を読んで断捨離したときは、母の妨害が入ったりしたせいにして、半端にしか出来ませんでした。

当時の母は、私が捨てるものを、監視せずにはいられなかったのです。

捨てるものに文句を言われました。

母が買った服や、編んだセーターも、何を言われるかと恐れて、捨てられませんでした。

気に入らなくて、着ていないのに・・・

ゴミ袋に入れて捨てたはずのものが、押入れから出てきたりもして、散々でした。

結局片付けが出来ないことを、「母のせい」にして、片付けを断念してしまいました。

が、結局片付けが出来なかったのは自分なんですよね!



父は、亡くなった知り合いの遺品を貰うというかたちで、大量のものを持ち帰り、リビングの角の自分のスペースをどんどん拡大占拠。

父の机周りは、掃除もろくに出来ないほど大量の荷物に囲まれています。

そのほとんどは、読まない本や、使わない道具です。

嫌だなぁと思ってふと気が付く。


子供の頃、自分の部屋がなく、リビングの隅に勉強机を置かせてもらった時の事。

自分の空間が欲しくて、自分のものをわざと机の周囲に広げておいた覚えがあります。

その時の、「自分のスペースが欲しい」という気持ちと似ているのかしら?


父は自分の部屋というべき寝室は2階にありますが、生活は1階でしています。

自分の存在感アピールのために、散らかしている状態なのでしょう。


今回、ケーブルテレビ導入に関して、テレビ周辺の父のものを少し片づけてと言ったら、物凄くムッとする反応がありました。

やはり、自分のテリトリーと考えている様子です。

私は、綺麗な家に住みたい。

実家を出て、そうしたい。

そう思う中、今、実家の汚部屋状態をそのままにして、逃亡することしか考えていなかった自分に気が付く。

きちんと今の問題に向き合って、クリアにしてから出るという方向に、気持ちがシフトしています。

正直、実家問題は向き合わずに逃げるが一番だと、それしかないとずっと思ってきました。

まともにお話が出来る相手ではないのですから。

色々とクリアになり始めた今、向き合えるだけの力が身についてきたと感じます。


今回、実家にケーブルテレビを引いて、インターネット回線を乗り換えると言うことになりました。

ケーブルを通す場所が、家の中のカオスの場所の2か所「父の書斎スペース」「和室のテレビの後ろの物置場所」

結局「見ないふり」していた場所が、いっぱい見えてしまいました。


これは、自分が向き合うべきものなのか、両親が向き合うべき問題なのか。


いずれにせよ、この状況から何か学ぶしかないなぁという感じです。


因みに、工事の立ち合いをしながらこの文章を書きました。

他人が出入りしている中、こういうことが出来るようになった自分は、進歩したなぁと感じます。
(後から加筆修正はしてます)
プロフィール

00miyuu00

Author:00miyuu00
毒親・機能不全家庭で育った40代女性
本来の自分を取り戻して、自分らしく生きていくために。
母と娘の関係、家族関係。
過去から現在までの経験と、学びや気付きを書いていきます。

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